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メイの華

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ガーシュインの「ラプソディインブルー」に心打ちぬかれて。

ガーシュインの「ラプソディインブルー」に心打ちぬかれて。

今でもクラシックのクの字も興味のない姪が小さい頃、わたしが“ラプソディインブルー”を車の中で聴いていると「これ知っているよ!」って叫びました。

驚いて「えっなんで知ってるの?」って聞いたことを今でもよく覚えています。

この曲をわたしが知ったのはもっと大きくなってからのこと。

モーツアルトやベートーベンやチャイコフスキーなどの一般的なクラシック音楽からシンセサイザーの冨田勲を知り、その関連でいろんなクラシック音楽を聴き始めたり、ジャズを知り始めた中学生の時ありとあらゆる音楽を聴き始めたころに出会いました。

当時クラシックにもジャズ調のこのような曲があるんだって思ったものでした。

それを小学校に入ったばかりの姪が知っていたとは驚きでした。

姪曰く、テレビで見たからということで姪の父親である弟やその奥さんである母親もクラシック音楽をテレビで聴きそうもないので不思議だと思いました。

その後姪から話を聞き、アニメの「のだめカンタービレ」のテーマ曲であるとのこと、名前とちょっと内容は知っていたもののテーマ曲がこれだとは知りませんでした。

ラプソディインブルーは、 ガーシュウィンがオーケストラとピアノでジャズとクラシックの融合を図った曲

もっとも、彼はこのヒットでチャンとした作曲法を習おうとしたのですが「君のオリジナルを大事にしなさい」というアドバイスをもらったぐらいですから、本格的なクラシック畑の人じゃないみたいなんですがね。

ということで独学で学びそのあといくつかの作品を作成しています。
当時私が買ったレコードのラプソディインブルーのB面に入っていた曲で、パリのアメリカ人等も有名です。

ガーシュインは、クラシック音楽も作曲しましたが基本的にはポピュラー音楽の作曲家だと私は思っています。

後で知ったのですが、有名なサマータイムなどもこの作曲家が作ったということを知りました。

このサマータイムは、たくさん名曲、カバーがありますが個人的にジャニス・ジョプリンが歌っているのが強烈でしたというのは余談ですがね。

お仕置きとして使われたクラシック音楽

先日「クラシックが衰退している原因を考えてみた。」という記事を書きました。

個人的にはクラシック音楽に対しては、芸術の一つだし素晴らしいものが多いと感じているのですが、やはり一般的な若者達にとっては苦痛のものでしかならないということらしい。

実際に、クラシックを聴かない頃のわたしは、音楽の授業が苦痛だった時もあります。
正直に書けばそのまま子守唄として聴いて居眠りをしようかと思っていた授業でした。

不良生徒たちにクラシック音楽を聴かせた校長先生@イギリス

長い学生生活、先生の言うことを聞かない生徒というのは必ず存在します。
ここ近年の日本では学級崩壊ということで、教師がいるのに関わらず子どもたちの問題行動などが多く見受けられる事が多くなりました。

教師は、そのことについて大変に悩まされる状態だと感じていますが、実際にユニークな方法で問題を起こす不良生徒が半減したというニュースがありました。 

それはイギリスのある学校です。

不良学生が色々な問題を起こすと罰として反省文とか同じ言葉を何度も繰り返し書き綴るという単純な居残りの罰がイギリスの学校にあるそうなんですが、ある校長はユニークな方法を考え出しました。

それが、クラシック音楽を流すこと。

クラシックの苦行で素行がよくなった生徒たち

効果てきめん!
罰を受ける生徒の数が減ってしまったという話です。

校長先生は、クラシック音楽の中でも比較的に緩やかで、ヴェルディとかモーツァルトの中でもシンプルな曲調でリズムもなく平和な雰囲気のメロディーの楽曲を選び、それを大音響で流すだけのことです。

もちろん、この音楽を聴いて、気持ちが落ち着いて反省する人もいると思いますが、問題は不良少年たちです。
彼らは当然として嫌がっていたということです。

退屈で本当に何これ!!
しかもこの曲をBGMに校長先生のお気に入りの詩を朗読するという状態を約2時間半も続けたとそうです。

情操教育にいいからと感じてる方は、きっと心から反省して自分のことを律したと感じてると思いますが実は反対なんですよね。

実際には2時間半にも渡る音楽地獄を味わったことで不良行為を行う生徒も急激に減ってしまったそうなんですよ。

実際日本でも使ってみたら、クラシックの衰退に更に拍車がかかりそうですよね。

クラシックが衰退している原因を考えてみた。

クラシック音楽を聴いている人が少なくなってきているということを依然あるニュースサイトに書かれていました。

幼い頃からクラシックを聴く環境で育っていたり、クラシックを演奏したりする人たちは問題なく聴いていると感じるのですが、クラシックと縁のない人々にとってはますます縁遠い世界になっているのも事実です。

クラシックは、物凄く世界が広く音楽的にも幅広いジャンルに影響を与えた音楽であることは事実です。
しかし今では聴く人が少なくなった大きな原因は音楽の多様化だといえます。

音楽の多様化がクラシック音楽から離れてしまった理由である。

中世ヨーロッパ時代の息づく音楽であり、優雅で品格のある世界観を感じられますが、一般的にクラシックという音楽は学校教育での理論先行の教育が大きいと感じられます。

理論的で堅苦しく感じてしまいクラシックに対して敬遠してしまうきっかけがこの頃だといえます。

クラシックという音楽のジャンルは一般的にも退屈で上流階級の音楽という感じを抱かせてしまうのが、実はクラシックを聴かない理由の一つになっています。

コンサートにしてもドレスコードはないにしても、フォーマルな雰囲気の服装を着なければならないイメージが大きいと感じることができます。

クラシック音楽が衰退してきたのは、家庭の中でクラシックを鑑賞する時が大幅に減ってしまったことが大きな原因といえるのは、やはり親世代が「クラシックなんて退屈」とのレッテルを貼ってしまっているせいだと感じています。

一般の人にクラシックの魅力を伝えるのは「メディアの力」

一般の人にクラシックの素晴らしさを感じるのはメディアの力にあると感じます。
過去にクラシックの名曲をCGを駆使をして、しかも現代風にアレンジとポップスと同じくらいの2~3分にコンパクトにまとめていた番組がありました。

この番組を見ていて感じたことはやはりクラシックの素晴らしさを感じさせるためにはこのような番組などがあればいいと自分でも感じています。

クラシック離れの大きな原因は、家庭でクラシックを聴かないこと。

やはり時間的に極端に長いし、意味が分からないということで聴く環境が整っていないこともあることと、もう一つは学校教育にしてもクラシック鑑賞の時間が少なくなってきているのが大きな問題になっていると言えます。

中野の名曲喫茶「クラシック」とウィーンのホリイゲの共通点。

「名曲喫茶」耳にしたことはあるでしょうか?
今はほとんど見かけなくなったので若い人は知らないかもしれませんね。

わたしが大学生のときによく通っていたのが中野の「クラシック」です(2005年閉店)。

外見からしてあばら屋で、良く持ちこたえているなという感じの木造の建物であった。

「クラシック」店内の様子

中に入ると店の老マスターがにっこりと出迎えてくれる。

入り口付近にある黒板に自分のリクエストをしたい曲を書いて、薄暗い店内を見渡して恐る恐る一歩ずつ踏みしめていく。
そうでもしないと、床が落っこちそうなのである。

やっと席に着くとワンカップ大関の空き瓶に水を入れたものをウェイトレスが運んでくる。

店内を見わたると、読書にふけっている人、友人と語らう人、等、様々な人間が座っている。

その中で、リクエストした曲がかかるのを待つのだ。
今となってはその店もない。
青春時代の1ページで、なかなか面白い体験であった。

ウィーンのホイリゲ(居酒屋)

社会人になってから、ウィーンに何度も行き、ホイリゲ(居酒屋)にも良く足を運んだが、こういうところには、例えばヴァイオリン、ギター、アコーディオンのトリオでやっているような流しが来て、リクエストした曲やウィーン物を演奏したりしてくれる。

日本人と知ると「上を向いて歩こう」を黙ってくれても演奏していたりするのが多かったが、私の場合はジィーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の街」などを演奏してもらった思い出がある。

店は街の中にある昔ワイン樽を寝かせるのに使っていたいわゆる洞穴であったが、お客さんのおしゃべりがよく響き、陽気で明るく、皆、心の底から音楽を楽しんでいる感じだった。

ウィーンの居酒屋と名曲喫茶の違いと共通点とは?

ウィーンの居酒屋と日本の喫茶店の違いは、音楽が生活に溶け込んでいる世界と明治以降、「節」ではない西洋音楽を取り入れて間もない世界の違いであり、今では、かくも違うものであったかと思う次第だが、二つの中には共通点もあった。

それは、喫茶店店主の音楽に対する優しいまなざしと笑顔、そして、ホイリゲの老ヴァイオリニストが見せたなんとも幸せな笑顔である。